韓国へ亡命を果たしたある脱北者の実体験!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、4/19(月)22:00〜22:45

逆転人生「脱北女性が成し遂げた愛の逆転劇」

の放送内容に基づき

「韓国へ亡命を果たしたある脱北者の実体験!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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韓国へ亡命を果たしたある脱北者の実体験!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

スコット・キムさんが初めて北朝鮮から

脱出したのは2001年、17歳のときのことです。

当時、彼と彼の母親は、温かい食事に

ありつけるのではないかと、

国境を越え、中国へ行くことを望んでいました。

1990年代後半の北朝鮮の深刻な飢饉の中で育っ

キムさんは、子ども時代の多くを飢えと戦ってきました。

脱北者の大半はまず、北朝鮮の北の国境、

豆満江もしくは鴨緑江を渡って中国へ出る。

その後、ラオスやベトナムと接する南の国境を目指し、

中国の広大な国土を密かに移動し

そこからタイもしくはカンボジアへ渡り、

現地の韓国大使館に支援を求めます。

この一連の旅の費用は最大5000ドル

(約55万円)にのぼり、

国外脱出を助けるそれぞれの国の

「ブローカー」に支払われる。

韓国やアメリカへ亡命するために

5000ドルを払うことは、

キムさん親子には到底無理でした。

現在、10万人超の北朝鮮国民が収容所、

政治犯収容所、強制労働所に拘束されてい

ると見られ、彼らは激しい労働や拷問、

飢えに耐えていると言われます。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

初めて捕まったとき、キムさんは運が良かった!

北朝鮮最大の再教育施設の1つが故郷の茂山に

近い全巨里にあったが、彼はさらに南方の

施設へと送られました。

なぜなら、誰もキムさんを知らなかったからです。

彼は年齢を詐称することができました。

そこで、自分はまだ15歳で母親を探すために中国にいた、

と当局に話したのです。

おかげでキムさんは、処遇のひどい強制労働所や

政治犯収容所ではなく、孤児向け

医療施設へ連れて行かれました。

施設に到着すると、すぐにまた脱出し、

中国北東部の吉林省和竜市の近くで

農場労働者の仕事を得ました。

「毎日、トウモロコシや豆、ジャガイモを栽培したり、

山で木を伐採した」

「飢えていなかっただけ、暮らしはましだった。

おなかいっぱい食べることができたし、

わたしにとっては十分だった」

2度目に捕まったのは、中国で母親を探しに友人を

訪ねたときのことでした。

隣人が再び警察に通報したのだ!

2度目の強制送還は、1度目のような運には

恵まれませんでした。

キムさんは故郷の近くの強制収容所に連行されました。

そこから強制労働所へ送られ、

何カ月も山で伐採作業に従事しました。

ある日、キムさんは山のふもとにいる自分以外、

全ての労働者が頂上で作業中であることに気付き、

脱走!

再び中国に入ろうと、北に向かう列車が見つかるまで全速

力で逃げました。

その後しばらくして、キムさんは中国でまた捕まったのです。

3度目の逮捕によって、一度入ったら出ることのできない

最悪の場所、政治犯収容所へ送られました。

そこで中国への国外脱出を手助けするブローカーを

通じて当局に賄賂を渡し、4度目の脱出を果たしました。

中国で、キムさんはブローカーに借金を返すため

仕事に戻ったある日、同郷の北朝鮮の女性から

電話があり、母親を訪ねるよう言われた。

母親はがんに侵され、死の間際にあったのです。

数日後、母親の友人が、ラオスとカンボジアを経由して

韓国に亡命する気はないかと尋ねた。

あるブローカーが脱北者の一団を連れ出すのに、

まだ1人分の空きがあったのです。

自力で歩くことのできない母親はキムさんに、

韓国へ行って教育を受けるよう説得した。

キムさんは行くことを決めました。

最初の脱出から6年が経った2007年、

キムさんはついに韓国への亡命を果たした。

執念ですね!

脱北できてホントに良かった!

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。