仙台市荒浜地区のイナサ!失われたもの!守り継がれたもの!(NHKスペシャル)

こんにちは! アツボ―です。

今日は、

NHKスペシャル

「イナサ〜風寄せる大地 16年の記録〜」

の放送内容に基づき

「仙台市荒浜地区のイナサ!失われたもの!守り継がれたもの!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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仙台市荒浜地区のイナサ!失われたもの!守り継がれたもの!(NHKスペシャル)

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

東日本大震災で津波にのまれ、

暮らしのすべてを奪われた仙台市荒浜地区

かつてここは、海の幸と田畑の恵みが

人々を潤した、半農半漁の集落でした。

春、豊漁を呼ぶ南東の風をイナサと呼び、

実りの秋、干し柿など冬の保存食作りに

欠かせない西風をナライと呼んで、

風と対話しながら生活を営んできました。

漁船を取り戻して再び海に出る漁師、

先祖伝来の畑が被災しても、

土への愛着を忘れられない農家、

互いに、収穫した海や田畑の恵みを

「お裾分け」する姿がそこにありました。

番組では、被災直後からイナサの風が

再び豊漁を告げる春までの一年間を

取材しました。

仙台市中心部から車で約30分、

荒浜地区は自然に囲まれた穏やかな地区でした。

同地区にある深沼海水浴場は、

市内唯一の海水浴場として市民に

親しまれていました。

あの日、地震発生から約1時間後に

高さ約10mの大津波

荒浜地区を飲み込み、

県道亘理塩釜線を越え、

東部道路にまで及びました。

犠牲者は190余名にのぼり、

荒浜地区は壊滅状態となりました。

荒浜小学校へ避難した地域住民233名、

児童71名、教職員16名の合計320名は、

津波により孤立した四階建校舎屋上で、

寒さに震えながら助けを待ち続けました。

午後5時半からヘリコプターによる

「ホイスト」の方法で救出が開始され、

翌12日午後6時に全員が無事救出されました。

684世帯約2︐100名が住んでいた

荒浜地区は、仙台市から災害危険区域

指定されたことにより人が住めない

所となり、移転を余儀なくされたのです。

 

浄土寺は、海辺からわずか800mしか

離れていない場所にあり、

津波によって800坪の境内にあった

本堂や庫裡などの建造物、

去帳などすべてが流されました。

荒浜で亡くなった190余名のうち135名が

浄土寺の檀家でした。

プレハブの仮本堂と慰霊碑の建つ境内は、

災害危険区域にある仙台市内唯一の

寺院であり、平成28年10月から

約2km内陸寄りに本堂、庫裡などの再建工事

が始まっています。

またさらに海よりの場所に

「荒浜慈聖観音」が建立されました。

津波に耐え抜いた鳥居と、震災後に

慰霊碑として建てられた観音像!

新旧のこの地を守る神仏だが、

鳥居は海を向き、観音像は海に背を向けています。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

今回番組を取材した担当ディレクターのお話です。

今回、番組の随所に出てきた過去の映像

これは7年前、仙台局の制作技術グループが

荒浜集落の自然や暮らしの営みを

一年に渡り取材したものです。

私は当時、その映像を地域情報番組で

随時放送し、ハイビジョン特集

『イナサ~風と向き合う集落の四季~』に仕上

げる担当ディレクターでした。

この度の震災が起きた際、奇遇にも仙台局には

7年前と同じメンバーが揃いました。

震災後の荒浜と人々の暮らしを記録すること、

それだけを念頭に、他の震災取材の合間を

縫って記録し始めました。

その後の『イナサ』の人々に会うと、

彼らは被災してもなお心の持ちようは

以前と変わっていませんでした。

取材する私達も何度も励まされました。

環境が激変した被災地ではとかく

一変したことに目を奪われがちですが、

日々の営みを送る人々の「変わらないことの強さ」

「伝え継がれてきたことを守ることの大切さ」

など、人々を地域を見つめ続けることで、

見えてくるものがありました。

過去は現在と断絶したものではなく、

現在を生きるためにあるもの、

それを荒浜の人々に教えられました。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。