大日本沿海輿地全図!現代地図と一致?海外の反応?どこで見れる?

こんにちは! アツボ―です。

今日は、

歴史秘話ヒストリア

「日本地図を手に入れろ! シーボルトの極秘ミッション」

2021年2月2日(火) 15時10分~15時55分 の放送内容

に基づいて

「大日本沿海輿地全図!現代地図と一致?海外の反応?どこで見れる?」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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大日本沿海輿地全図!現代地図と一致?

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

江戸時代、伊能忠敬と

弟子たちが全国を歩いて作った

「大日本沿海輿地全図」

(伊能図)は、精度が高く、

現代の日本地図と比べても

ぴったり一致するようにも見えます。

ただ、広い範囲で見た場合、

北海道や東北、九州南部などでは

東西方向にずれがあります。

緯度は、天体観測で比較的簡単に

調べられたのですが、

経度については、地点間の時間の差を

測る必要があるため、

正確な時計がなかった当時は

難しかったのでしょう。

計算で求めた経線を

地図上に引いたため、

実測との間にずれが生じたと

考えられています。

ただ、伊能図の経線を無視し、

地図の形だけを比較すると、

ずれはかなり小さくなるようです。

現代の日本列島の海岸線と

伊能図を重ねてみると、

現在の地図と大差にように見えます。

測量結果を基に、江戸で伊能らが

作図作業を行いました。

すべて手書きの彩色地図で、

利用上の便宜のため以下の

3種類の縮尺の地図が作製されました。

大図 1里=3寸6分(縮尺1/36,000[4]、全214枚)

最も詳細に描かれた地図です。

中図 1里=6分(縮尺1/216,000、全8枚)

縮尺の都合上、大図と較べて地名などの

記載内容は若干簡略化されているが、

代わりに緯線・経線が引かれています。

小図 1里=3分(縮尺1/432,000、全3枚)

利用しやすさを求め、中図よりさらに

半分の縮尺で製図し、

全国を3枚に収めた図です。

地名その他の記載は簡略化してあります。

大日本沿海輿地全図!海外の反応?

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

彼の作った地図は、その後、

日本を訪れた西洋人たちを

大変驚かせています。

正しい地図を作るのには、

費用と技術と時間がかかります。

忠敬の死後数十年して、

イギリスが日本の周囲を無理やり

測量しようとしたことがありました。

測量をするということは地形を

知られるということです。

これは防衛上大変危ういことです。

しかし、イギリスの測量スタッフを

案内した役人が

伊能忠敬の地図を持っていたのです。

これを見たイギリス側は

ビックリどころではありませんでした。

今から作ろうと思っていたのに、

既に正確な地図があったのですから!

当時は東洋人は、未開の野蛮人のように

思われていた時代です。

見下していたのに、自分達を上回るほどの

技術を持っていたなんて

きっと空恐ろしくもなったでしょうね!

ある意味では、伊能忠敬の地図が、

アジアで数少ない独立国を

保てたことに繋がっているんでしょうね!

大日本沿海輿地全図!どこで見れる?

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

『大日本沿海輿地全図』のうち

幕府に上呈された正本は、

明治6年の皇居火災により、

また、当図の原図である

伊能家旧蔵の副本も

東京帝国大学で保管中

関東大震災の火災で、

いずれも焼失したため、

当図などの転写図が辛うじて

その姿を現代に伝えています。

写図彩色 1舗 245×164cm 縮尺:1/432,000

題簽:実測輿地全図

東京誌料 9403-33(1)

伊能忠敬を中心とする測量隊が、

幕府の事業として日本全国を測量し

作成した日本地図は、

通称「伊能図」と呼ばれ、

大、中、小図の三種類があります。

幕府に上呈された正本は、

明治6年皇居の炎上によって、

また、伊能家の控図(副本)も

保管されていた東京帝国大学付属図書館と

共に大震災で焼失しました。

従って、全図揃ったものは現存せず、

転写図が辛うじてその姿を伝えています。

本図は、国内で初めて所在が

確認された小図の「本州東部」で、

『東京誌料分類目録』に

「実測輿大地図」と記されているのが

1998年4月に発見され、

その存在が明らかとなりました。

いかがだったでしょうか!

今日も、最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。