小山肆成!日本初となる国産ワクチンの開発に挑んだ町医者!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、3/16(火)22:00〜22:45

先人たちの底力 知恵泉「国産ワクチンの開発に挑め!小山肆成(しせい)」

の放送内容に基づき

「小山肆成!日本初となる国産ワクチンの開発に挑んだ町医者!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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小山肆成!日本初となる国産ワクチンの開発に挑んだ町医者!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

江戸時代、猛威を振るう天然痘から

人々の命を救うため、

日本初となる国産ワクチンの

開発に挑んだ町医者がいました。

その名は小山肆成(しせい)

どんな人物なのか、謎に迫ります。

肆成は文化4年(1807)の生まれ

若いころから京都に出て、

兄・文明の許で勉学、16歳で岡田南涯に師事!

その後、宮廷医を経て烏丸で開業しました。

猛威をふるった天然痘の防疫に取りくみます。

苦闘8年!

ジェンナーの牛痘の効果を碓認した肆成は、

多くの牛を実験台にして、

嘉永2年(1849)、国産牛痘苗の開発に成功しました。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

小山肆成は、鎌倉時代から南北朝時代の頃に

熊野水軍の雄として活躍した武士集団

「久木小山氏」に繋がる家系とされます。

江戸時代後期に編纂された地誌「紀伊続風土記」には、

久木小山氏のおこりについて次のように記述しています。

久木小山氏は下野国(栃木県)を支配していた

小山(おやま)氏の当主小山高朝を祖とするとされます。

ただ、この記述によれば高朝の長男を秀朝とするが史実では

高朝が改名して秀朝を名乗っており、

また實隆は同族であるものの古座に拠点を置いた

「西向小山氏」の祖とされているなど、

記載内容はやや信憑性に欠けると思われます。

しかしながら、久木小山氏が紀南最大級の

武士集団として活躍したことは事実です。

天然痘に罹患した人の膿や痂皮(かひ、かさぶた)を

健康な人に接触させて免疫を得ようとする方法

(人痘法)は古くから中国、インドなどで行われており、

日本にも18世紀半ばには紹介されています。

しかし、この方法では真の天然痘に

罹患する可能性があり、

一定の危険を伴うものでした。

ジェンナーが開発したのはウシ由来の天然痘

ウイルスをヒトに接種する方法(牛痘法)であり、

人痘法と比較して安全性が

極めて高いことが特徴でした。

これを知った肆成は、中国で書かれた牛痘法

の指南書を和訳し、「引痘新法全書」として

京都・大坂・江戸で出版しましたが、

この時点ではまだ日本国内で人に

接種可能な牛痘を得ることはでませんでした。

そのため、肆成はヒト由来の天然痘をウシに罹患させ、

ここから得た牛痘(牛化人痘苗)をヒトに接種して

免疫を得ることに成功したのです。

肆成は研究のために私財をなげうち、

実験用の牛を買い求めるために家宝の刀

や家財を売り払ったという

エピソードが伝えられています。

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小山肆成の業績については残された資料が

少ないことから正確な評価を行うのは困難であり、

彼が作成した「牛化人痘苗」の詳細や、

具体的な使用実績等についても不明な

ことが多いようです。

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佐賀大学地域学歴史文化研究センター教授の青木歳幸氏は、

「種痘法普及にみる在来知

(佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要

(7), 1-21, 2013-03)」で次のように述べており、

「引痘新法全書」による知識普及活動は評価しているものの、

肆成が「牛化人痘苗」の試みに成功したか

どうかは疑問であるとしています。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。