「平安京」ちょっと怖い魔界京都!誕生と人びとのくらしとは!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、4/7(水)22:30〜23:15

歴史探偵「平安京ダークサイド」

の放送内容に基づき

「「平安京」ちょっと怖い魔界京都!誕生と人びとのくらしとは!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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「平安京」ちょっと怖い魔界京都!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

平安京の時代、京の都のはずれには、

死者を葬るための葬送地がありました。

大方の遺体は埋葬も火葬もされず、

野ざらしのまま風化を待っていたという

無常所です。

その最も有名な場所が、

「鳥辺野」鴨川の東方、

北は五条から南は今熊野まで、

かなり広大な地域を占めていたと

いいます。

その死者の世界としてあった鳥辺野の

あの世と、生者の世界である現世の

境目とされたのが「六道の辻」です。

その辻に位置するお寺が、

六道珍皇寺です。

平安の昔、死者が旅立った

「六道の辻」は、甦りの場でもあり、

必ずこの辻を通りご先祖様は

帰ってくると考えられていました。

また、“十萬億土の冥土まで響く”

古来より伝わる「迎え鐘」は、

先祖の霊をこの世に呼び戻す梵鐘と

伝わっています。

お盆が終わり、あの世へと帰られる

ご先祖様の霊!

8月16日には、寺町三条にある矢田寺で、

死者の霊を迷わず冥途へと送る

「送り鐘」の音が響き渡ります。

ご本尊の地蔵菩薩は、開山の満慶上人が

冥途へ行き、そこで出会った地蔵尊の

姿を彫らせたものといわれます。

上人を冥途へと誘ったのは、小野篁です。

不安や悩みに苦しむ閻魔大王に

「菩薩戒」を授けてほしいと、

上人にお願いしたといいます。

その際に、上人が地獄で出会ったのが、

人々の代わりに地獄の業火を

浴びていた地蔵菩薩であり、

その姿を映しとったご本尊は

「代受苦地蔵(だいじゅくじぞう)」

として信仰を集めています。

あの怖い閻魔様が不安や悩みを

抱えていたということに、

ほほえましくなってしまうような

エピソードですね!

「平安京」誕生と人びとのくらしとは!

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都を奈良から京都へ奈良時代の

終わりに即位した桓武天皇は、

都を移すという大胆な“ひっこし”を考えました。

当時都があったのは、今の近畿地方です。

桓武天皇が即位したときの都は平城京で、

今の奈良市にありました。

この大きな都を今の京都のあたりに

移すというのが桓武天皇の計画でした。

なぜ都を移すのかというと、

それは政治のため、そして平和のため。

もっといえば、人々のためということでした。

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農民たちの質素な暮らし木簡をもとに

再現した貴族の食事です。

鮭の切り身は、因幡の国、

今の鳥取から運ばれました。

アワビは、安房の国、

今の千葉から届けられました。

一方、農民たちの食事は、玄米、

青菜の汁に塩だけの質素なものでした。

地方の農民たちは粗末な家に住み、

重い税に苦しんでいたといいます。

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「かまどには火もなく、米を蒸す道具には

クモの巣が張っている。

それでも里長は、むちを持ってやってきて、

税を出せとさけんでいる」

平安京の一般庶民は、貴族の従者や

商工業者などがほとんどで、

激しい労働に従事する人々は

1日2度の食事に加え、

間食(かんじき)という昼食をとりました。

職業に合わせた活動しやすい服装で、

住居は間口が狭く、

隣家と軒を接する長屋で

暮らしていました。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。