名古屋城!誰が作ったの?金のしゃちほこ!加藤清正の銅像とは!

こんにちは! アツボ―です。

2/17水22:30〜23:15

歴史秘話ヒストリア「やっぱり尾張名古屋は“城”でもつ」

の放送内容に基づき

「名古屋城!誰が作ったの?金のしゃちほこ!加藤清正の銅像とは!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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名古屋城!誰が作ったの?

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

名古屋城は徳川家康が建てた城です。

豊臣秀吉の軍勢との緊張が高まる中、

軍事面での要所となる名古屋に

築城を決めました。

1609年に正式に天下普請によって

建てられる旨が正式に発令され名古屋城は

1614年に完成しました。

天下普請とは江戸幕府から諸大名に

命令して行う大規模な工事です。

そのため卓越した石積みの技術を

持つ熊本城城主、加藤清正も名古屋城の

天守台を担当しています。

名古屋城は徳川家康の尾張徳川家の

家祖で13歳で尾張藩の領主になった

九男の徳川義直(よしなお)のため

建てられた城です。

名古屋城は尾張徳川家の藩主のもの

尾張徳川家は約62万石もの

領地を有した紀州徳川家

水戸徳川家と並ぶ徳川御三家の一つで、

徳川将軍家に継ぐ地位を持っていました。

三つ葉葵の家紋の使用も許されていた名家です。

名古屋城はその尾張徳川家の

当主が住むための城です。

名古屋城!金のしゃちほこ!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

名古屋城は、265年もの間続いた

江戸時代の初代将軍である

徳川家康が天下統一の際に

築城を命じた城です。

この名古屋城の天守には、

金色に輝く2体のしゃちほこが聳えています。

しゃちほこ(しゃち)とは、

頭部は虎、体は魚の姿をした空想上の生き物で、

漢字の表記では(fish)という字に(tiger)

という字を組み合わせ、「鯱」書きます。

しゃちほこは、建物が火事の際には水

を噴き出して火を消すと信じられていたことから、

建物の守り神とされ、住宅や寺、

城に備え付けられることがあります。

当時は、築城に関する規制が

かけられていることが

多かったため、金のしゃちほこが

設置できるのも限られた城だけでした。

名古屋城の金のしゃちほこは

それほど貴重なものなんですね!

名古屋城!加藤清正の銅像とは!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

加藤清正公といえば、

卓越した築城スキルが有名な武将です。

特に彼の城作りの特徴は石垣の「武者返し」

と呼ばれています。

この斜めに反り返った石垣を作るには、

2つの工法をミックスさせています。

上の方の急勾配になっているものは、

「算木積み」と呼ばれ、

長方形の石を左右交互に積み上げています。

下の方は「穴太積(あのうづみ)」といって、

同じ大きさの石を積み上げていきます。

しかも足をかけられないほど、

石をキレイに整形しているので、

やすやすと敵が侵入できない作りになっています。

しかも「連結式天守閣」なので、

入り口から天守閣までの距離が長く、

迷路のように複雑な作りもポイントです。

名古屋城で戦うことはありませんでしたが、

いざという時は最強の城として

活躍したであろうと言われる、最高傑作の城なのです。

住んでもよし、戦う時もバッチリという

2刀流が城好きからも愛されるポイントです。

そんなわけで、天守閣が素晴らしかったのと、

加藤清正が民衆から人気があったことから、

名古屋城は加藤清正を猛プッシュすることに

なったのでしょうね!

徳川家康もただ息子のために

城を作ったのではなく、

対豊臣家の最前線の城として

築城したと言われています。

もし戦いが起こったら、大阪城と同等か

それ以上に手強い城となっていたでしょうね。

この名古屋城は徳川家康の最後のお城ですから、

貴重なお城なんですね!

そんなわけで、築城したのは銅像の数の多さで

加藤清正だと思いがちですが、徳川義直が城主で

そして徳川家康の最後の城なのです。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。