西内清実!染職人相馬野馬追!騎馬武者が背負う旗指物とは!【みちのくモノがたり】

こんにちは! アツボ―です。

今日は、みちのくモノがたり「野馬追バカの旗づくり~南相馬 染職人

~」2020年11月30日(月) 23時40分~23時45分 の放送内容に基づき

「西内清実!染職人相馬野馬追!騎馬武者が背負う旗指物とは!」と題し

調べてみました。

千年以上続く「相馬野馬追」、騎馬武者が背負う旗指物を染めて60年の

老職人・西内清実さん!その生き様に迫ります。

どうぞ皆さんもご覧ください!

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西内清実さん染職人相馬野馬追!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/ 

「福島県南相馬市相馬野馬追」染物職人・西内染物店

西内清美さん(85歳)昭和7年4月20日生

勇壮な騎馬武者が疾走する「相馬野馬追」その背中にはためく旗指物を染

め上げる職人です。

西内さんは旗指物から陣羽織や袴などの武者装束一式までを手がける唯一

の職人なので、彼が引退・廃業してしまうと一千余年に及ぶ伝統的な神事

の存続が危うくなることになります。

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「相馬野馬追」当日、東日本大震災で中断、縮小を余儀なくされていまし

たが昨年から完全復活した神事「お行列」、「甲冑競馬」、「神旗争奪

戦」を一目見ようと全国から続々と人が集まってきました。

「相馬野馬追」には欠かせない旗指物だが、少なくとも昨年までほとんど

注目されることはありませんでした。

しかしメディアの力は絶大だ!旗指物の出店に顔を出していた西内さん

に、テレビやCMをみた人たちが口々に「頑張ってください」と激励の握

手を求めてきます。なかには記念撮影まで求める人までいました。

いつもは寡黙な西内さんが「取材で紹介してくれたおかげで、今まで見向

きもされなかった旗指物が皆さんに知られるようになった。

素直に嬉しい。やはり、この仕事は続けないといけない。ここまできた以

上、跡継ぎがみつかるまでやる。」と思いのたけを語ってくれました。

眼差しには力強いエネルギーさえ宿っていて、次の旗指物の構想も練り始

めているといいます。

再び動き始めた西内さんに、後継者が現れる事を切に願います。

西内清実さん騎馬武者が背負う旗指物とは!

「旗指物」(はたさしもの)は、戦国時代以降の武士が、戦場において自

らの存在や所属などを示すために身に着けていた旗のことをいいます。

平安時代末期、敵味方を区別するための陣具として、使われるようになり

ます。

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当初、使われたのは、旗の上部のみに竿を通し、下部は固定しない旗。こ

れらは「流れ旗」「長旗」と呼ばれました。

のちに風の影響や、移動の際に絡まってしまうことを防ぐため、

旗の横も竿に固定する形式の「幟旗」(のぼりばた)が制作されるように

なります。

時代は進み、合戦での戦い方が騎馬武者の一騎打ちから、

歩兵らによる集団戦へと変化するにつれて、瞬時に敵味方の区別を行なう

必要性が高まりました。

そこで考案されたのが旗指物。腰に差す「腰指」(こしざし)もありまし

たが、戦国時代後半に、背中の受筒に差して使う形式が定着したとされて

います。

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また、戦国時代から江戸時代にかけて戦時に編成された部隊である「備」

(そなえ)のひとつとして、「旗組」が組織されました。

戦国時代において、ひとつの部隊を率いる武将が陣に据える旗は、

主家を表す「大馬標」(おおうまじるし)、「纏」(まとい)を、幟旗の

側に置きます。

侍大将の側には「小馬標」を置くことで、備の位置や武威を内外に示しま

した。

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「大馬標」は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などが広く皆さんに

知れ渡っていますね!

いかがだったでしょうか!

今日は、「西内清実!染職人相馬野馬追!騎馬武者が背負う旗指物と

は!」と題し書いて見ました。

皆様のお役に立てば幸いです。

誠にありがとうございました。