大江山の酒呑童子は何者?雲海スポットは!百人一首で分かること!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、歴史秘話ヒストリア「大江山鬼退治 なぜ人は鬼を討つのか?」

2020年12月9日(水) 22時30分~23時15分 の放送内容に基づいて

「大江山の酒呑童子は何者?雲海スポットは!百人一首で分かること!」と題して

調べてみました。どうぞ皆さんもご覧ください!

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大江山の酒呑童子は何者?

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大江山と言えば、酒呑童子!

丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んで

いたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目!

酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていました。

文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されています。

彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、数多くの鬼共を部下にしていた

といいます。

生まれてすぐだというのに黒々とした髪と歯を生やし人の言葉まで話したという生

まれた時から人間離れをしていた酒呑童子!

酒呑童子とは何者であったのか、さまざまな説があります。

一説には「シュテイン・ドッジ」という外国人で、食べていたとされる人肉と生き

血は、獣肉とワインではなかったか、ともいわれます。

しかし、当時の童子には鬼の意味も含まれますので、

おそらくは山の中で暮らす人々、とりわけ産鉄民ではなかったか、という見方が有

力ですね!

一条天皇の命で源頼光と、頼光四天王と呼ばれる渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜

部季武らに首をはねられた酒呑童子は、最期に「鬼に横道はなきものを」と言葉を

吐いて、首になって頼光の兜に噛み付いたといいます。

これは「自分は道に外れたことはしていない。道に外れているのはお前たちではな

いか」と受け取れます。

何となく酒呑童子が、陸奥の安倍貞任や藤原経清にかぶって見えてきてしまいま

す。

大江山!雲海スポットは!

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雲海スポットは日本にも多くありますが、ここ鬼嶽稲荷神社は丹後天橋立大江山国

定公園の大江山の8合目にあるにもかかわらず、車で向かうことができます。

その便利さから、雲海マニアの方も多く訪れます。

由良川流域は日中と夜間で温度差が大きいため、霧が発生しやすいといわれていま

す。

前日の昼とその夜から早朝で気温差があり、快晴且つ風がない状態であれば高い確

率で雲海を見ることができます。

運がよければ、朝日とともに雲海を拝むことができるかもですね!

休憩所もありますので、朝ごはんを持参してここで食べてもいいかもしれません

ね。

雲海を見るのに最適な期間は10月中旬~12月初旬頃です。

冬は積雪の場合、除雪作業がないため登ることができませんので注意が必要です。

大江山!百人一首で分かること!

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「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」

和泉式部は才能にあふれた歌人として知られていました。

当時、和泉式部は旦那の転勤で丹後に引っ越しており、京都には娘の小式部内侍

(こしきぶのないし)けが残されていました。

ある日、小式部内侍は、歌詠みの大会(歌合はせ)によばれるました。

歌合はせで負けることは不名誉とされており、有名な歌人を母にもつ小式部内侍に

は、周囲からの期待もあったことでしょう。

そのような状況下で、定頼の中納言に「歌の名人であるお母さんに、かわりに歌を

詠んでもらうために遣わした者は帰ってきましたか。」

とからかわれてしまいます。

からかわれた小式部内侍は、すばらしい歌でこれに答えます。

その時に詠まれた歌がこの「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」

です。

あまりの素晴らしさに定頼の中納言は、返す言葉もなく逃げてしまったということ

です。

いかがだったでしょうか!

今日は、「大江山!酒呑童子は何者?雲海スポットは!百人一首で分かること!」

と題し書いて見ました。

皆様のお役に立てば幸いです。

本日は、誠にありがとうございました。