渋沢栄一!何した人なの!出身地はどこ?会社一覧を見てみたい!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、2/24水22:30〜23:15

歴史秘話ヒストリア「渋沢栄一 時代を開く 新一万円札の男の実像」

の放送内容に基づき

「渋沢栄一!何した人なの!出身地はどこ?会社一覧を見てみたい!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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渋沢栄一さん何した人なの!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

1840年、渋沢栄一さんは現在の

埼玉県深谷市に生まれました。

家は養蚕や米・野菜の生産から藍の葉から作られる

染料の販売まで幅広く営むどちらかというと

裕福な農家で、渋沢さんも小さな頃から

仕事を手伝っていました。

19歳で学問の師であった

尾高惇忠の妹・千代と結婚し、

22歳で江戸に出て儒学者

海保漁村のもとで学び始めます。

24歳で京都に出て一橋(徳川)慶喜の家臣となり、

彼の警護に当たったり海外渡航を経験したりしました。

1868年、大政奉還が起こり明治政府が樹立すると、

大隈重信に経験を買われ大蔵省に入省します。

4年後に退職するまで、

官僚として近代日本の経済に携わりました。

34歳で大蔵省を退官すると、

第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の頭取となります。

株式会社の創設・育成に力を入れ、

生涯をかけ470社もの企業の創立に携わりました。

また、大学など教育機関の創設や社会事業にも関わり、

日本赤十字社の設立にも注力しました。

渋沢さんが関わった社会事業は

600にのぼるといわれています。

日本を豊かな国にするために、

力を惜しまない人物だったのです。

渋沢さんは1931年、92歳でその生涯を閉じます。

渋沢栄一さん出身地はどこ?

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

天保11年2月13日(1840)、武蔵国榛沢郡

血洗島村(現・埼玉県深谷市)

に養蚕と製藍を営む市郎右衛門・栄

の長男として生まれます。

幼名は市三郎6歳の時に母の名をとって

栄治郎と名付けられました。

生家は血洗島に十数軒ある渋沢家の宗家で、

当主は代々、市郎右衛門と称しました。

父は宗家に婿養子に来た人で、

性格は非常に真面目であり、

些細なことでも几帳面におこないました。

勤勉家でもあり、農業をはじめ、

養蚕、藍の製造・販売、村人に金の

融通もするなど農・工・商・

金融を兼ね営んでいました。

こうした家庭環境の中で栄一は育つことになります。。

また、市郎右衛門は初めは武家になって

身を立てようとしたこともあり、

武芸はもちろん、学問も四書五経は十分に読め、

晩香と号するほど俳諧にも通じていました。

栄一は卓越した記憶力を持ち、

知識欲も盛んだったため、

1年の間に、孝経・小学・大学・中庸と進み、

ついには論語まで及んだといいます。

14歳になると、近村を回り、

家業の藍の製造に欠かせない藍葉の

買い付けをおこなっています。

栄一の初めての商売でした。

安政5年(1858)、一般的な名を栄一郎と改め、

名を栄一としました。

同年の12月に尾高の妹の千代と結婚します。

こちらもご覧ください!

渋沢栄一さん会社一覧を見てみたい!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

設立した約500もの会社の中でも、現在でもなじみが

深い会社をいくつかピックアップしました。

金融 :日本銀行、日本興業銀行、三井銀行

交通通信:日本郵船、日本航空輸送、日本無線電信

商工業 :王子製紙、渋沢倉庫、理化学研究所、帝国ホテル

ライフライン :東京ガス、大阪ガス)、東京電力

渋沢栄一さんが支援してきた教育機関や

夜会公共事業の一部です。

(財)中央社会事業協会

(社)福田会、(財)東京府慈善協会、

(財)東京府社会事業協会、(財)滝乃川学園、

(社)日本赤十字社、(社)東京慈恵会、

聖路加国際病院、浅草寺病院、

恩賜財団済生会日本放送協会、

日本女子大学、早稲田大学、法政大学、

東京商科大学

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。