鈴木静、会津和菓子とは! 震災と原発事故!天保の大飢饉!【みちのくモノがたり】

こんにちは! アツボ―です。

今日は、鈴木静、会津和菓子とは! 震災と原発事故!天保の大飢饉!【みちのくモノが

たり】について調べてみました。

どうぞご覧ください!

スポンサーリンク

鈴木静さん会津和菓子とは!

会津和菓子の老舗おかみ・鈴木静さん「人々を笑顔に」170年の伝統を守り続け

和菓子の老舗の6代目若女将として、次々と新しい和菓子を作り出している鈴木静さん!

一切れ切るごとに絵柄が変わって行く美しい羊羹や可愛らしい形の和三盆に

棒をつけたシュガーマドラーなど伝統的な和菓子にアレンジを加えて、

現代の生活に合った新たな楽しみ方を提案しています。

東日本大震災後の経験をきっかけに生まれたというアタラシイ和菓子は食べる人々に笑顔

をもたらし、故郷への思いを呼び覚まします。

鈴木静(すずき しずか)

1981年生まれ 福島県会津若松出身です。

学習院大学在学時に家業を継ぐことを決め、退学して帰郷します。

職人修行をしながら和菓子作りを学び、2009年の結婚を機に、ご主人が長門屋に入っ

て職人に転身しました。

静さんは店での接客と和菓子の企画開発に携わります。

2016年にご主人が長門屋の6代目を継承し、6代目若女将となります。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

その後、鈴木さんは昔ながらの和菓子の新たな価値観を追求します。

流行を追った菓子づくりではなく、地域で大切に育てられた素材や代々受け継がれてきた

技術を今風にアレンジすることで、新たな付加価値を生み出しています。

伝統を次世代につなぐ“架け橋”となることこそ、自らの使命だと感じたからだと語ってい

ます。

「架け橋」となる活動は菓子づくりに留まらず、会津に根づいてきた「オニグルミ文化」

の継承にも及んでいます。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

鈴木静さん震災と原発事故!

鈴木静さんは、二十歳のときに東京からふるさとの福島県会津若松市に戻り、

創業170年を誇る老舗和菓子店の家業に入りました。両親から「目の前のお客さまが、

どうしたら笑顔になるかということだけを考えてやればいい」と言われ、この言葉を胸に

修行を重ねたといいます。

その後10年ほど経ったとき、鈴木さんに「和菓子屋の存在意義」を深く考えさせること

が起きました。

東日本大震災と福島第一原発の事故でした。

「前は、お客さまに喜んでいただくものをつくろう、地域のいいものをく

ろうって、純粋にそういうふうに思ってたんですけど、震災があって、直

後はお客さまも誰もいない状況が続いたり、原発事故で会津若松に避難し

て来られた方がたくさんいらっしゃって、その中で、自分たちはなぜここ

でお菓子屋をやってるんだろうって、根本的なところを初めて考えたんで

す。単純にお菓子づくりっていうんじゃなくて、なんのためにここにいる

のかっていうところですよね。」

と語っておられます。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

鈴木静さん天保の大飢饉!

実は、和菓子店を創業した背景には、多くの農民が命を落とした「天保の大飢饉」

(1833?37頃)がありました。

洪水や冷害といった災害が大凶作を招き、特に東北地方の被害が大きかったといわれてい

ます。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

その飢饉による不況が尾を引いていた嘉永元年(1848年)、初代の鈴木長平は、会津藩

主・松平容敬(まつだいらかたたか)から「庶民のための菓子を作れ」との命を受け、

造り酒屋から転業し、黒糖やでんぷん飴、くず米やあわ、豆といった安価な原料を用いて

駄菓子の製造を始めたと言います。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

手軽に楽しめた菓子は、当時の庶民を大いに元気づけたことでしょうね!

創業時にこうした使命があったように、鈴木さんも震災をきっかけに自分たちの使命を再

確認していきました。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

いかがだったでしょうか!

みちのくモノがたり「未来への架け橋~福島 和菓子~」

2020年11月11日(水) 23時40分~23時45分が楽しみですね!

皆さんのお役に立てば幸いです。