東電社員の10年!加害者になった!事故起こるべくして起きた!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、3/1(月)22:00〜22:45

逆転人生「あの日“加害者”になった私 東電社員たちの10年」

の放送内容に基づき

「東電社員の10年!加害者になった!事故起こるべくして起きた!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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東電社員の10年!加害者になった!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

原発事故で暮らしが一変した福島に、

賠償や除染のため赴任した

3人の東電社員たちがいます。

賠償相談窓口で浴びせられる罵声!

基準超えの放射性物質が

検出された農村の現実を目の当たりにしました。

3人の東電マンは、被災者の怒り、

悲しみ、優しさに触れながら、

復興のために全力で走り続けました。

彼らはやがて、福島の人々と

固い絆で結ばれるようになります。

東京電力福島第一原発では、

40年かかるとされる廃炉作業が

今日も続けられています。

高放射線量の下、数多の困難を

乗り越える技術者たち

彼らを支えるバックヤードの人々!

福島を離れまいと異動を拒む官僚!

「加害者」になることを厭わず、

東電に入社した社員たち等々

「廃炉」に立ち向かう彼らの姿を描きます。

東日本大震災から10年という節目を目前にした

2021年2月13日、

グニチュード7・3の地震が

福島県沖で発生しました。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

震災の様々な記憶が思い起こされる中、

福島第一原発では今日も

廃炉作業が進められています。

著者は東京電力や協力企業など、

多くの関係者に取材を進めてきました。

その中で、ある技術者が

3・11の地震後に初めて

福島第一原発に入った時、

「敗北感」を抱いたという言葉が、

心に深く刻まれたといいます。

彼らが働いている場所を、科学技術の

「敗北の現場」と呼ぶのであれば、

そこで作業に従事する彼らはどのような

モチベーションで働いているのでしょうか!

そしてその胸中に去来するものは

何んなんでしょうか!

取材で浮かんできたのは、

誇りと使命感に満ち溢れた技術者や

企業関係者、官僚たちのたくましい姿です。

廃炉への道はまだ先が長いものの、

その前途には光明が見えてきていることが

この一冊でお分かりいただけると思います。

東電社員の10年!事故起こるべくして起きた!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

「今思えば、あの事故は起こるべくして起きた。

すべて過去とつながっていて、

東電はそこに向けてずっと進んでいたんです」

 

男性はバブル期に入社してから、

ほぼ一貫して企画部に在籍していました。

企画部は経営計画づくりや国との交渉などを

担う東電の司令塔です。

そこで順調に出世街道を歩んでいた

男性の人生もまた、

あの日を境に大きく変わってしまいました。

 2011年3月11日午後2時46分!

大きな揺れを受け、福島第一原発では、

運転中だった1~3号機の原子炉が緊急停止しました。

男性は当時、東京・内幸町にある本店9階でいつも

通り仕事をしていました。

大きな揺れを感じ、すぐにテレビをつけて

震源地が三陸沖であることを知ります。

しばらくすると、原発が無事に停止したとの

報告が入りました。

「これで大きな影響はないだろう」

思ったそうです。

しかし、本当の危機がやってきたのは

地震発生から約50分後でした。

原発敷地内に最大15・5メートルの

高さの津波が押し寄せ、

配電盤や非常用発電機が水没しました。

1~3号機は全交流電源を喪失しました。

 

その後、男性が次々と目の当たりにした光景は、

東電の中枢にあって全く想定していない事態でした。

翌12日午後に1号機の原子炉建屋が水素爆発し、

14日午前に3号機、15日午前に4号機の原子炉建屋が

相次いで吹き飛んだ。

1~3号機がメルトダウン

炉心溶融)という未曽有の原発事故に

なっていきました。

3カ月後、

東電は「福島原子力事故調査委員会」

を立ち上げ、事故の究明に乗り出しました。

計画停電の対応などに忙殺されていた男性は、

上司から調査報告書を

とりまとめるよう命じられました。

しかし、調査は事故の経過や現場で起きていた

事実の積み上げに

多くの時間が割かれ、肝心の事故原因の

分析になかなか進まない状態でした。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。