上野公園と寛永寺!上野戦争勃発とは!歴史が凝縮した上野!

こんにちは! アツボ―です。

今日は、2/27土21:00〜21:54

世界ふしぎ発見!上野公園は歴史のテーマパーク

の放送内容に基づき

「上野公園と寛永寺!上野戦争勃発とは!歴史が凝縮した上野!」

と題して書いてみました。

どうぞ皆さんご覧ください!

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上野公園と寛永寺!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

寛永寺 – 東京都台東区 – かっては

上野公園を境内とした、天台宗の大本山です。

寛永寺は、明治維新までは

今の上野公園全域を境内とする巨刹でありました。

(今の噴水の辺りに本堂に当たる根本中堂が、

東京国立博物館の辺りに輪王寺宮の

住居である本坊がありました)が、

上野戦争で焼失した後は旧境内は官営の

上野公園となり、寛永寺は、子院があ

った現在地に移転しました。

寛永寺には、徳川将軍の

霊廟建築は2セットありました。

寛永寺に埋葬されたのは4代家綱、5代綱吉、

8代吉宗、10代家治、11代家斉、

13代家定の6名ですが

8代吉宗が新規の霊廟の建造を禁じて以降は、

厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の

霊廟に合祀する形となったので2セ

ットになりました。

その2霊廟も、太平洋戦争の空襲で大部分焼失しました。

なお、寛永寺にある、将軍以外の徳川家の墓所及び最後の

将軍徳川慶喜の墓は谷中霊園内の寛永寺墓地にあります。

上野公園と上野戦争勃発とは!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

幕末、幕威の衰えによる、

戦乱の中、薩摩、長州を中心にした

新政府軍代表の西郷隆盛と、

幕軍代表の勝海舟の間で会談が執り行われ、

江戸幕府の御霊ともいえる

江戸城は無血で新政府軍に渡されました。

このような状況に、

士族の万人が納得できるわけがなく、

反発する勢力が当然のように現れます。

彰義隊とは、江戸幕府を支持し、

薩摩、長州を中心にした新政府に

不満を持つ士族らで結成された軍隊です。

(ただし、この頃の身分階級はあやふやで、

士族出身以外の者も参加しています)

そして、彰義隊は、1868年(慶応4年)5月15日、

大村益次郎が指揮する薩摩、長州を中心とした新政府軍と、

上野寛永寺寺領域を舞台に、戦争を勃発させます。

彰義隊は半日で破れ、彰義隊隊士の死者は

266名にのぼりました。

円通寺の住職と、寛永寺の御用商人の

三河屋幸三郎らが彼らを集めて火葬し、

円通寺に埋葬されました。

その火葬した場所が彰義隊墓所です。

上野のすぐ近くの南千住に 円通寺はあります。

このお寺には彰義隊士のお墓と、

当時激戦区だった、

寛永寺の黒門が保存されています。

彰義隊の形成過程については、

司馬遼太郎先生の「花神」の下巻をお読みになると

いいですね!

上野公園!歴史が凝縮した上野!

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

美術館や博物館が立ち並ぶ、

アカデミックな薫りが漂う上野!

周辺には、人々に愛され続けてきた

老舗の店も少なくありません。

当時の最新技術と贅を尽くして

建てられた洋館を訪ねたり、

趣ある名店でひと息入れたり。

街の歴史を伝えるスポットを巡れば、

日本文化を牽引してきた、

上野の歴史に触れられます。

不忍(しのばずの)池沿いに佇む

資料館の前に到着すると、

赤い円柱型のポストが出迎えてくれます。

一歩中に入ると、広がるのは昭和の世界です。

手押しポンプの井戸で水をくみ上げ、

洗濯板を使って洗濯していた懐かしき光景!

薪を使ってかまどでご飯を炊くなど、

昭和の時代の道具が当時の

スタイルのまま再現されています。

出典元:https://www.yahoo.co.jp/

実際に靴を脱いで茶の間に

上がることができるのも魅力です。

ぺちゃんこの座布団に座って

天井を見上げていると、

当時の暮らしぶりを肌で感じられます。

展示されている昭和30年代の

オモチャのなかには、

実際に触って遊ぶことができるものもあり、

つい夢中になってしまいそうです。

古き良き時代!昭和が懐かしくよみがえります。

いかがだったでしょうか!

最後までご覧頂きありがとうございます。

皆様のお役に立てれば幸いです。